教会内部に入ると右側にあるアルメニア修道院につながる。 目の前に赤い石材でできた11本ずつ4列の柱があるが、この11列の意味は横ユダを除いた11弟子を意味し、4列は4大福音書を象徴するという。 柱の上にはラテン語とギリシャ語で書かれた文字と聖人のフレスコ画が描かれている。 柱の中央床にはビザンティン時代の絵が見られ、建物の壁面にはAD12世紀の十字軍時代に作られたモザイクが見られる。
イエス様が誕生した場所の向かい側に2段階下ると、旧有の祭壇がある。 誕生したイエス様を言葉ではなく後悔した席という。 すべての場所が聖なる場所だ。 階段を上ると、イエス様の誕生当時を描写した絵が展示されている。
平和の広場から少し降りて路地に入ると、水牛教会(The Milk Grotto)がある。 イエス様の聖家政がエジプトに避難する前にしばらく留まっていたところで、聖母マリアがイエス様に乳を与えながら一滴が洞窟岩に落ちてその洞窟が白く変わったという。 マタイ福音書2:13-14「私たち(東方博士)が去った後、主の使者がヨセフに顕夢して曰く、ヘロットが赤ちゃんを探して殺そうとすると起きて赤ちゃんと彼の母親を連れてエジプトに避難し、私があなたに至るまでそこにいてほしいと言ったら、ヨセフが起きて夜赤ちゃんと彼の母親を連れてエジプトへ旅立ちなさい」と記録されている。 この教会の中には母乳を飲ませている聖母像がたくさん見られる。
聖キャサリン聖堂の本堂だ。 カトリック教会のクリスマス前夜のミサがここで行われ、全国に放映されるところだという。 右側の写真はこの鳥の木(Tree of Jesse)で、イエス誕生洞窟への通路とつながる聖キャサリン教会の入口にある。この教会の地下には天使がヨセフに赤ちゃんイエスを連れてエジプトに避難することを知らせた場所があり、ハロウィーンの命で罪なく死んでいった2世以下のユダヤ人赤ちゃんたちのための祭壇とジェロームの墓がある。
2/12(水)晴れ ずっと霧雨が降っていて、久しぶりに日差しが出る。 エルサレムからレンタカーを借りてベツレレムに行き、イエス様誕生教会を見ることにした。 宣教師に道を尋ねると、ベツレヘムがパレスチナ地域なのでグーグルナビにはならないと言って、入る時に建物を必ず記憶しなければならないという。 朝食礼拝と簡単な食事をしてエルサレム最終日なので宣教師のために祈り、少しの宣教献金を差し上げて宿舎を出た。 エルサレムのトラムに乗って市庁駅に降り、ダビデ王ダウンタウン(Jerusalerm King David Downtowm)にあるBudgetレンタカー会社を訪れた。 遠く離れた所にいた。 昨日、インターネットで予約したBudgetレンタカーからフルオプションで6日間30万ウォンを決済し、車を引き取るところに行った。 車が駐車されているところはレンタカー会社から約1kmほど離れた遠いところにあり、人がいなくてしばらく待った。 Budgetレンタカーサービスが億劫だった。写真はBudgetレンタカーがあるところだ。 人がコンテナの家にいながら出てこないでここを探すのが難しい。
グーグルナビにガリラヤまで2時間40分かかると出ている。 エルサレムを通ってガリに行く高速道路に入らなければならないが、テルイビブへ行く高速道路に入って再び抜け出す出口がない。 今夜、宿を予約しなかったのでヤパ(Jaffa)に行くことにした。 ヤッパは聖書にはヨブバに出てくる港でエルサレムの関門の役割を果たした。 ソロモンが聖殿と宮殿を建築する時、ネバロンの白香木をこの港に通来し(歴代下2:16)、ヨナ預言者は神様がニヌウェに行けという命令を拒否して再びスに逃げようとしたため、ヨブバに降りて船に乗った」(ヨナ1:2-3)エルサレムから野波へ向かう道沿いの家々がとても高級だ。 オリーブの木がたくさんあり、本当に肥えた土地だ。 やはりイスラエルがよく生きたようだ。 午後5時になると、日が暮れようとした時に野波に到着した。 ヤパガ·テラビブのある区で芸術家たちが多く住んでおり、住宅価格があまりにも上がってアラブ人たちが多く暮らしていたが、今はずっと離れているという。 宿を取ろうと車を停める場所を探してあちこちさまよい、やっとアパートの駐車場に位置してホテルを検索してみると、ホテルの費用が驚くほど高い。 検索する途中、ノートパソコンのバッテリーが切れてアパートの駐車場から住宅街に出て学校に入って電気を使おうと言ったら承諾した。 そこでノートパソコンの充電をしながらホテルを検索して予約をした。 予約したホステルは変な貧民街にある家のようで、建物の壁に変な絵が描かれていて怖くて出入り口が閉まっていた。 しばらくしてそこから人が出て入った。ホステル(Overstay TLV Hostel:+972534210200)の前で、駐車場は余裕がある。 右側の写真がホステルの入口だ。 パスワードを入力してこそ中に入ることができる。
グーグルナビの案内に従って野原教会に行った。 教会のドアが閉まっていて、他のブログ写真に出ている野原教会ではない。 通りすがりの人に聞いても皆が知らないという。 しばらく待ってガリラヤに行くためにエルサレムに行かなければならなかった。 グーグルナビを入力して出発したが、エルサレムに出る道が出てこず、ずっとベツレヘムでぐるぐる回るように道を案内する。 宣教師が案内してくれた通り、ベツレヘムに入って建物をグーグルに入力してその建物を撮って出て来いと言ったが、入力ができなくてそのまま入ったが難しくなった。 通りすがりの地域住民にエルサレムへの道を尋ねられ、やっと道を探した。 ベツレヘム省の検問所でイスラエル女性兵士がレンタカーの中とトランクを確認し、「どこから来たのか」と聞いて、「韓国だと言ったら、喜んで旅行に行ってほしい」と言う。エルサレムに出るのに1時間かかった。
ボアステイTLVホステルで一日ほど泊まるのはコストパフォーマンスも良く、大丈夫だ。 ご飯も作って食べられるようにキッチンも用意されており、浴室と洗面台は共同で使用するが、いくつかあって便利だ。イエス様が誕生した馬小屋の旧有座だという。 14個の頂点で表示された銀色の星の中心点がイエス様が誕生した席だ。 14という数字は人類救援を意味する十字架の道14処を表し、アブラハムからダビデまで14台、ダビデからバビロンに移居した時まで14台で、バビロンに移居した後からキリストまで14台(マ1:17)を表すという。 この星は1717十字軍時代にカトリックで銀で作ったが、この星にラテン語でHic de Maria Virgine Jesus Christus Natusest(ここでイエス·キリストが東寧女マリアから誕生した)と刻まれている。 巡礼客の順番に従ってイエス様が誕生した場所に入り、銀星に手を当てて感謝と称賛の祈りを捧げた。イエス様誕生教会中央祭壇の右側にあるギリシャ正教会側の階段を下りると、祭壇の下に幅3.5m、長さ12.30mほどのイエス様が生まれた洞窟グロート(Grotto)がある。 この洞窟に入るために普通2~3時間待たなければならないが、巡礼者が多くなく約30分ほどかかったようで幸いだ。 イエスは誕生を祝うためにゆっくりと降りてきた。 今日ダビデの町に君たちのために救われたからすぐキリストをくれ。 「君たちが行って川堰に包まれて、旧有に横になった赤ちゃんを見ると、これが君たちの標的だ」と言っていたのに(湿った2:11-12)、階段に沿って各宗派が所有する銀製ランプ11個がぶら下がっている。 ガロユダを除いた11弟子を意味するという。授乳教会を出てイエス様誕生教会(Basilica of the Nativity)に行った。 イエス様が誕生したところなので、ぜひ訪れたかったところだ。 この教会はイエス様が誕生した場所だと伝えられた洞窟の上に建てたという。 最初にこの場所に教会が建てられたのはコンスタンティンヌス大帝の母ヘレナによって333年に建てられ、527年サマリアの反乱で全焼し、565年再建されたものだという。(ウィキペディア引用)イエス誕生教会はローマカトリック教会、ギリシャ正教会、アルメニア使徒教会が管理している。 ギリシャ正教会とアルメニア使徒教会はユリウス暦を使用し、ローマカトリックはグレゴリオ暦を使用してイエス誕生日が異なり、ローマカトリック教会は12月25日、東方正教会は1月7日に誕生を記念する。レンタカーを受け取るのに多くの時間を過ごし、11時になって12kmの距離にあるイエス様誕生教会に向かって出発した。 ベツレヘムの近くに来た時、軍人たちが検問をしてすぐ入ろうとしたが、道が混んでいた。 周りに人がいて道を尋ねると、車で行けず、駐車しておいてタクシーで入るように言われた。 宣教師が朝ベツレヘムイエス誕生教会まで行けると言ったが、おかしい。 上述のようだ。レンタカーを駐車場に停めてみると、車が検問するやいなや左折してベツレヘム城に入るのを見て、再び車を引いてベツレヘム城に入った。 ベツレヘムに入るやいなやグーグルに基点を押しておかないと、出てくる時に苦労しないと言って基点を撮ろうとしたら位置がつかまらずそのまま入った。 ベツレヘム入口前の空はとても澄んでいて清明だった。 遠くに建物がたくさんあるところがエルサレムで、右側の写真はベツレヘムイエス誕生教会に行く途中に撮った市内通りだ。ベツレハムベツレハムイエス様誕生教会に入るためには、石門人謙遜の門を通過しなければならないが、入口の高さが120cm、幅が80cmだという。 本来、門はアーチ型で3つあったが、十字軍時代に両側の門を塞ぎ、中央の門は小さくして軍人たちが馬に乗って入れないようにしたという。 この教会の中に入るためには、王や将軍、誰でも腰を曲げて頭を下げるようにした。左側の写真は地下洞窟教会に入る途中で洞窟の壁が白い。 この壁に付いた白い粉を食べると、赤ちゃんを産めなかった人も赤ちゃんを産むことができるという。 ここローセンス神父の事務室には奇跡を経験した人々が送ってきた感謝の手紙がいっぱいだ。 その手紙には20年間薬も飲んで手術も受けたが、家族を成すことができなかったのに奇跡が起きたという。 白い粉の価格は2ドルだそうで、訪問だけで購入できるという。 右側の写真が除隊する。 下の写真は地下教会で祈る修道女を見ることができる。 この中には入れないようになっていて、外から撮った写真だ。イエス様誕生教会の地下通路から聖キャサリン教会側に出ると、廊下のように長い回廊がある。 この回廊を出ると、聖キャサリン教会の庭が出て、聖ジェローム(St. Jerome)の銅像が見られる。 ジェロームはクロアチア出身で本名はヒエロニムス(Eusebius Hieronymus)だ。 英語の名前がジェロームだ。 彼はグレゴリウス·アウグトティヌス(聖アウグトティヌス)とともにラテンの4大交付(Church Father)と呼ばれる。 ヘラ語訳本人70人訳をヘブライ語原本と直接対照し、ラテン語訳本であるブルータ聖書を翻訳した。 彼はキリスト教を信じなかったが、重病を患いながら悔い改め、主を出迎えたという。イエス様誕生教会(Basilica of the Nativity)の近くに到着して駐車しようとすると、適当なものがない。 駐車場には車がいっぱいで、適当なところに駐車するために一周したが、みんな車を堂々と置いていた。 再び駐車場に行って行くと空席が出てくる。 駐車をして平和の広場(マルグユ広場)に行った。 ここが平和の広場だ。 毎年12月25日、クリスマスイブになると、世界中のクリスチャンが集まって祭りの庭を開くという。 世界各国の聖歌合唱団が賛美し、ギリシャ正教会で礼拝を行い、エチオピア正教会でミサを行うという。 前に見える建物がベツレヘム平和センターで、広場の上にクモの巣のように垂れ下がっているのが夜にきらめく点灯のようだ。ホステルの中に入ると若い旅行客だけがいてフロントがない。 無人ホステルのようだった。 そこにいる旅行客に聞いてみると、Eメールでルームナンバーを受け取り、パスポートとビザをEメールで送らなければならないという。 どうすればいいのか分からず戸惑うと、ある若い旅行客がホステルの主人に電話し、複雑で自分もできないと電話を変えてくれる。 私たちが遅く予約をしてメールを送らなかったそうで、キャンセルも可能だという。 遅い時間に他のところに予約することもできず、パスポートをメールで送ると部屋番号とパスワードをメールで送ってくれた。 荷物を片付けて遅い時間に夕食を食べに行った。授乳教会正門に聖母様がイエス様をしていない姿が見え、教会入口に「Mother of God pray for us」と書かれている。 教会入口に入ると、左側の柱に聖家政がエジプトに避難する時の姿が彫刻されており、右側にガブリエル天使が彫刻されている。聖キャサリン教会を出てレンタカーのある駐車場に行くと、駐車場ががらんとしていた。 巡礼客がたくさん抜け出したようだ。 車で野原教会に行く途中、パンを焼く家に行った。 ベツレヘムがパンの家という意味があるように、パンを焼く匂いが食欲をそそる。 ベツレヘムがベンニャミンを産んで死んだヤコブが一番愛する妻ラヘルが葬られたところで(チャン35:19)、この鳥の息子ダビデの故郷でありダビデの子孫であるイエス様が誕生したところでイエス様の肉がこのベツレヘムパンだ。 サルモンはボアズを生み、ボアズはオベットを産み、オベットはこの鳥を産み、この鳥はダビデを産んだ(ロット4:21-22)https://youtu.be/PG-7lf4M32g